平成20年に近畿農政局から「地産地消の仕事人」に選定された方がいらっしゃいます。地産地消の仕事人とは、生産と消費・販売をつないで地域を一体化するために、地産地消の取組に関する知見や経験を有し各地域で志高く優れた地産地消活動の実現に活躍している方のこと。和歌山県でただ一人選ばれたのが紀の川市の地域農業士、畑 敏之さんです。
畑さんはいくつもの肩書きを持つ生産者で、自身が理事を務める「NPO法人那賀有機農業実践グループ」にくわえ、「紀の川市環境保全型農業グループ」会長、紀の川市地球温暖化対策協議会理事や紀の川市食育推進会議委員ほか、農業をとりまく環境に警鐘を鳴らしつつ、地域を核とした人づくり・まちづくりを進めています。

学生時代を東京で過ごした畑さんは、世界の中の日本農業の現状や動向、流通システムを学び、さらに都会から見た故郷を客観的に見ることができたと言います。そして卒業に際し海外での仕事や農協中央会への就職などの選択肢がある中で、最後に選んだのは「地元で家業をしよう」ということでした。実はちょうどその頃、地元の主生産物であったみかんの生産高は下降の一途をたどっており、「学んできたことを役立てたい」と思ったのだそうです。
しかしその頃の農家といえば、今ほど地域の生産情報を集める方法はなくただ毎日作業に明け暮れるだけ。学んだ海外の生産内容や、国内でも始まりかけていた地産地消の概念をまわりの農家が知るはずもなく、まだ若い畑さんがひとり力説しても「頭でっかちの(大学出の)おぼっちゃん」と言われる有様でした。
和歌山県の北に位置する紀の川市は紀ノ川の恵み授かる地。なんでもよく育つ土壌の良い地域と言われ、それゆえに生産者は栽培品目を切り替えることができるため「売れ筋を」や「儲かるものを」追うといった生産が可能でした。しかし景気は下降の一途をたどり、さらに「大量に安価な商品を大消費地へ届ける」といった、今で言う遠産遠消のシステムは輸入農産物などに押されて限界に来ていました。
みかんの生産に対しても同様に閉塞感がありました。もともと「みかんを作るのも野菜を作るのも同じ農家なのに、みかんを売ってスーパーで野菜を買う」ということを不思議に感じていた畑さんは、この頃から野菜の有機栽培を始めています。実はこの転機こそが、後に畑さんにとっての地産地消を推進していくことになるのです。

ところで地元に帰った頃から言われていた「産直」や「地産地消」という言葉ですが、その多くは宣伝文として販売増進の訴求に使われるぐらいのもの。農場はといえば経営は年々苦しくなる一方で、価格の安定や生産の調整などと言った、農業を延命させる方法や施策には納得がいかなかったようです。
学生の時に見て学び、そこからご自身が思い描いた地産地消とは、牛や豚を飼うことで堆肥をつくって畑にまき、さらに良い産物を作るといった循環型社会の生産サイクルであり、そして最終的には「消費者に対しての向き合い方」そのものでした。
「もっと積極的になって、品質の良い物を作ろうじゃないか」そう言った呼びかけに、徐々に真剣に耳を傾けてくれる賛同者が集まり始めました。組織のために集まるのではなく、消費者のために協働する活動として動き始めたのです。
こうして畑さんが考える地産地消への流れが徐々に固まり始め、さらに「消費者と生産者とまわりの環境が一体となること」が重要だという信念へと繫がり、その流れはやがて町全体へと広がっていきました。
1995年に地元活性化を目的として、生産者とJAや普及センター、農業委員会と町が会合をもち、「住みよい環境づくり」「新しい農法の提案」「消費者・町民への意識啓発とPR」「リサイクルの推進」の4つの柱を掲げた「有機の町づくりプラン」がスタート。1997年には畑さんを中心とした「那賀町有機農業実践グループ」が発足して生産農家が協力する体制が整っていきました。
さらに1999年には地元の偉人として称えられる医聖 華岡青洲をモデルにした「華岡青州の里」がオープンし、ここをまちづくりの拠点として地元のご婦人やボランティアなど120名による「青洲の里友の会」が発足するなど、「有機の町づくりプラン」の取り組みとして着々と成果をあげていくこととなります。
地産地消の取り組みに欠かせないもの。それは「食育」です。那賀町有機農業実践グループ(当時)は学校給食への地元農産物利用も意識的に取り組み、地元小学校への給食にご自身が作った有機野菜を納入しはじめます。栄養士と話し合い、旬の野菜を使いバランスを考えた食事が届けられると、子供たちは野菜のことを知ることで残さず食べるようになったり、苦手だった野菜を克服できたりと、きちんと効果はあらわれてきたのです。
野菜のしくみや野菜のもつ強さなどを子供達に話す機会に恵まれた畑さんは、子供達の輝く目、知りたいという気持ち、食べる楽しさを感じ取ることができたと言います。
「この子供達に安心・安全で美味しい食べものを作ってあげたい。」そういう気持ちを生産者自身が持つことこそが農業のもつ醍醐味であると感じたそうです。子供達が給食や農業体験を通じ、家に帰って自分の言葉で親に話し、そして地域へと広がっていく。ずっと思い描いていた「消費者を一番に考えた地産地消がここにあると感じた瞬間」だと振り返ってくれました。
「地域の恵みや食べ物の大切さをみんなが共有できれば、農業の可能性はさらに広がります」と話す畑さん。
ご自身も生産物を納入している直売所「花野果さん」は、NPO法人那賀有機農業実践グループの野菜を販売しており、生産農家と市民の憩いの場。また有機農業への取り組みとして、新規参入希望者への指導・助言、有機農業の技術実証、販売促進、消費者との交流を行っています。
給食メニューは栄養士との月一回の打ち合わせを欠かすことなく子供達の食を支えています。またイベントなどへの参加はもちろん、主婦の方々と郷土料理を再現するなど、地域への貢献を行っています。
将来的には地域の給食センターはもちろん、スーパーや家庭で出る生ゴミを堆肥にして再び土に戻す「循環型社会への取り組み」等といった地域資源の有効活用は、ご自身が会長を務める「紀の川市環境保全型農業グループ」としても大きな目標です。
大阪に近く立地に優れた紀の川市は観光客も多く、新たに「紀の川市食育推進計画」が策定されるなど、徐々に環境が整っていきます。地産地消への取り組みはとどまるところを知りません。真の地産地消へ。畑さんのチャレンジはまだまだ続きます。
ご自身の栽培の時間に加えて産物の配達、イベントや取り組む団体の会議や会合、生産者同士の調整と多忙な畑さんに貴重なお時間をいただきました。
まっすぐこちらを見て話される畑さんの真剣な目と大きく笑う時の笑顔がとても印象的。良い人と書いて食。食が良い人を育てるんだと感じた、記憶に残るとても楽しい取材となりました。
畑さんからひと言
食の安心・安全が問われる現在、ひとりひとりが食べ物のことをよく知り、見極める眼をもつことが一番大事なことです。私たち生産者も同じように見極め、さらに良い生産物が作れるよう努力していきます。紀の川市は和歌山県でも屈指の生産県。ぜひ一度お越しください。